初期伊万里一輪差し
小振りで落ち着いた土味の一輪差しです
金継ぎがしてありまた違った景色になっています。
伊万里焼は佐賀県有田町を中心とする地域で生産された磁器の総称で、有田
や三川内、波佐見などの製品が含まれています。製品の主な積み出し港が伊万
里であったことから「伊万里焼」と呼ばれました。
伊万里焼は、佐賀藩の藩祖鍋島直茂が、豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592・ 1598年)の際に、
連れ帰った李参平をはじめとする朝鮮人陶工を中心に有田で磁器の製
造に成功したのが始まりと考えられています。
伊万里焼の中でも、江戸時代初頭の 1610 年代から 1630 年代頃までの初期の
製品は特に「初期伊万里」と呼ばれています。初期伊万里は白地に 藍色のみで
文様を表した「染付」がほとんどで、文様は中国の磁器を真似した素朴な絵柄
が多く見られます。釉薬がたっぷりとのせられて厚ぼったく、絵付けの前に素
焼を行わなかったので、大半の器には、釉薬を塗るときについた指跡が残って
います。また、内底と外底には重ね焼きした時にくっつくのを防ぐために重ね
る部分に挟んだ砂が付着するという特徴があります。これより後の製品には、
技術が進歩したためこうした特徴が無くなりますが、骨董の世界では「古拙の美」として珍重されています。
初期伊万里は出土数が少なく、波多江遺跡は糸島地方の有力者である波多江氏に関係する屋敷跡と考えられています。